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筆臆病

私は「筆臆病」だ。『伝わるWeb文章デザイン100の鉄則』で次のように書いたが、今思えばこれは自分を鼓舞するために書いたのかもしれない。

誤解や誤認はなるべく避けるべきだが、それを恐れていては文章は書けない。誤解から有意義な議論が生まれることもあると思って、勇気をもって筆を進めることこそが、書き手に求められる大切なスタンスだ。(p.212)

このブログに出そうと思って書いたのに、ボツにした文章は結構多い。多いどころか、ほぼ2回に1回はボツにしている。その分、更新頻度が犠牲になっている。

よく言う「筆不精」にも3種類あって、私のような「筆臆病」と、文章を書くのが面倒臭いという本来の「筆不精」と、そもそも文章を書く必要性が見出せないという「筆無自覚」がいる。「筆臆病」は自覚が過剰なだけに結局は「筆不精」に陥ってしまっているという意味で、悪循環の最たるものだ。

そのような人間だからこそ、上の言葉がいっそう重く響いてくる。何に「恐れて」いるのか。ひとつは「自分のイメージを壊したくない」というエゴがある。ここで「エゴ」というのは、そんなものは他人にとっては知ったことではないからだ。完全に一人相撲である。

諦観もあるだろう。「自分がこんなことを書いたところで意味がない」と、自分で自分の(文章の)価値をハイパーデフレさせてしまっているのだ。私のような人間は大いに与(くみ)するところだが、本来それは他人が判断することだから、これも一人相撲といわざるをえない。

いずれにしても一人相撲の苦楽は自己完結だから構わないが、たとえば雑誌原稿の締め切りなど、現実的なアウトプットに期限を切られている場合は困る。私もよく困るのだが、「原稿が遅れて迷惑をかけるのは嫌だな」という別の臆病さが、何とかブレーキとなってくれている。ある臆病が他の臆病のバランサーになることは、別に珍しいことではない。

筆臆病であれ筆不精であれ、それが自分にとって望ましい状態でないならば、とにかく筆を進めることでしか前向きな解決は図れない。それは「責任者の無責任さ」とでもいうべきもので、文責は自分が負わざるをえないが、それも含めて「諦める」というスタンスこそが、結局は効率的なアウトプットを支えるという矛盾があるのだ。

Posted on 2004-09-03T01:18+09:00 | Category: Webライティング

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