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インターネット依存症?

[写真: 冬の午後。本とiPod]japan.internet.com「あなたも『インターネット依存症』かも?」という記事を読む。インターネットに過度に依存している人、インターネットなしには生きられない人が増えているとのことだ。

昔、テレビ依存症(中毒)という言葉が喧伝されたことがある。遡れば、仕事依存症(ワーカホリック)、アルコール依存症(アルコホリック)、薬物依存症(ドラギー、ジャンキー)などいろんな依存症があったし、今も依然としてあり続けている。

だが、それほど騒ぐことだろうか。確かに生活の中でインターネットの占める割合、果たす役割が格段に大きくなった。でもそれは役割のシフトと言うべきもので、長いスパンで考えてみれば特別珍しいことではない。

劇場や舞台、寄席やラジオからテレビへと大衆娯楽が移ったときは「一億総白痴」(大宅壮一の造語だと思う)と言われたし、連絡通信手段が訪問や手紙から電話に移ったときも「電話は安直にすぎる、電話は礼を欠く」と非難された。

新しい技術や新しい文化は、物珍しさからはじめ持ち上げられ、次にすべからく非難される。とすれば、インターネットも新しい局面に入ったということか。

私は仕事をする上でインターネットは欠かせないが、なければ生きられないとは毛頭考えたことはない。テレビはなくても暮らせる。ラジオも別に必要ない。本と音楽、それさえあれば時間は潰せるし、むしろそれしかない環境の方が快適ですらある。活字中毒や音楽中毒と言われればそのとおりだが、人は結局何らかの中毒を持たずにはいられないものだ。

インターネット依存症の症例は、Journal-izm「ネット依存症(アディクション)という名の病魔」に詳しい。各症状に共通するのは「他人とコミュニケーションを取りたい」という願望が強すぎる点である。少し敷衍すれば、「他人とコミュニケーションを取ることで、自分の存在を知ってもらいたい、自分を表現したい、自分がどれだけ必要とされているか知りたい」と言うことだ。

この記事は「自分を見失わない客観性が大事」と結んでいるが、それはどんなことにだって当てはまる。そんな言葉を持ち出しても何の解決にもならない。むしろインターネットで満足感が得られ、渇望感が満たせるなら、それもひとつである。

インターネット依存症のチェックテストとして、たとえばPeacemind.com「インターネット依存度チェック」GoisuNet「無料占い あなたのネット依存度チェック」がある。この種のチェックテストが得てして紋切り型で退屈なのは、いくら設問を変えても、結局は距離感を問うているに過ぎず、答えが透けて見えるからだ。

依存度が高ければ「節度をもって使いましょう、もっと距離を置きましょう」といった注意を受けるに決まっている。その類の言葉が何の解決にもならないことは、先に述べたとおりだ。依存度が低ければ「もっと活用しましょう、流行に乗り遅れないようにしましょう」と言われる。流行に乗るのが「善」で、流行に乗り遅れるのが「悪」と誰が決めたのか問い正したくなる。

そして「もっともっと時間を割いて、それに関する仕事ができるぐらいになりましょう」といった文言は、ついぞ見たことがない。「仕事にすればインターネットから自然と距離を置きたくなりますよ、ある種の現実逃避として、他のことに興味が向きますよ」と。むしろその方が効果があると思うがどうだろうか。

およそ依存症なるものは内なる「寂しさ」から生じる。私は「寂しさ」と「暇」には密接な関係があると思っている。仕事に依存すれば暇がなくなる。アルコールや薬物に依存すれば時間感覚がなくなる。

芸術家なりアーティストがアルコールや薬物その他に依存したり、異常に執着するケースが多いのは、きっと寂しいからであり、はた目からどう見えようと当人は暇で退屈しているのである。精力的に活動しているアーティストが半年なり一年なりの充電期間をたまに取るのは、あえて暇な状況を作り出しているのであって、単に疲れが原因ではないだろう。

そして昔の人は言った。「芸術は暇から生まれる」と。

Posted on 2003-12-03T22:44+09:00 | Category: ITトレンド

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